すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

説教内検索

04 23

 
1.パウロからローマ教会への手紙

・今週からパウロの書いた「ローマの信徒への手紙」を読んでいきます。この手紙は、パウロが帝国の首都ローマにあります教会に宛てた書簡です。このローマ書は、世界の教会を変革してきた書簡です。ルターが「信仰のみ(ソラ・フィデ 、Sola fide)」の真理を見出して、宗教改革を始める契機になったのはこのローマ書ですし、内村鑑三の書いた「ローマ書の研究」は日本の教会の礎を作ってきました。また、現代神学の祖といわれるカール・バルトの出発点もこのローマ書です(1919年「ローマ書」第一版、22年第二版)。何故この書はそのような衝撃を読者に与えて来たのでしょうか。
・この手紙を書いているパウロはコリントにいます。彼は2年にわたったアジア州での伝道活動を終え、コリントにて、エルサレムに渡るための船便を待っています。マケドニア州とアカイア州の諸集会からの献金を携えてエルサレム教会へ行くためです。コリントやエペソ等の異邦人教会と、エルサレムのユダヤ人教会の間には、信仰の在り方をめぐって、いろいろな対立がありました。そのため、パウロは異邦人教会からの捧げ物をエルサレム教会に持参し、両者の和解の使者になろうとしています。しかし、パウロの心は西へ、ローマに向いています。パウロは手紙の結びで、これからの計画を述べています「今は聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます・・・私はこのことを済ませてから・・・あなたがたの所を経てイスパニアに行きます」(15:25-29)。コリントから西に向かう船に乗れば、帝国の首都ローマはすぐですが、今は東のエルサレムに向かわなければなりません。パウロは生きている内に、「福音を全世界に伝えたい」と考えていました。そして帝国の東半分に福音を伝えた今、帝国の西半分にまで福音を伝えることがパウロの悲願であったのです。しかし、今は行けない。それで、パウロはローマ訪問に先立って、自分が宣べ伝えている福音を理解してもらうために手紙を書き送った、それがこの「ローマ書」です。 
・書簡の宛先はローマにいる信徒たちです(1:7)。30年代初頭にエルサレムで始まった「イエスをキリスト(救い主)と信じる信仰」がローマにも伝えられて、40年代にはユダヤ人を中心に、異邦人も含む信徒の群れが形成されていました。最初期のキリスト者たちは、ユダヤ教の一派としてユダヤ人会堂で活動していたようです。ところが、ユダヤ人の間に騒乱が起こったので、皇帝クラウディウスは49年にユダヤ人をローマから追放します。この「ユダヤ人騒乱」は、律法順守をめぐるユダヤ教指導者とユダヤ人キリスト者との対立から出たもので、その中にアキラとプリスキラ夫妻がいました。夫妻はこの追放によってローマを去ってコリントに行き、そこでパウロと出会い、以後福音宣教の働きを共にするようになります。パウロはこのアキラとプリスキラ夫妻からローマ教会の状況を聞いたものと思われます(16:3)。

2.ローマに特別の思い入れを持つパウロ
 
・ユダヤ人信徒がローマから追放された後、異邦人信徒たちは個人の家で集会を続けていましたが、クラウディウス帝の死とともに(54年)、ユダヤ人キリスト者たちがローマに帰ってきます。ユダヤ人信徒が追放されていた5年間に状況は大きく変わりました。残された異邦人信徒は伝道して多くの信徒を獲得し、帝国首都のキリスト信仰が「全世界に言い伝えられる」ようになりました(1:8)。そこへユダヤ人信徒が戻って来て、問題が生じました。生活慣習が異なり、信仰の在り方が違う両者の間に対立が生まれていきます。また異邦人教会にも、エルサレムを拠点とするユダヤ主義者(異邦人も割礼を受けなければ救われないと主張していた)の影響が及んできています。「異邦人への使徒」の責任を持つパウロは心配でなりません。その懸念が手紙のあちこちに顔を出しています。
・あいさつの言葉を終えた後、パウロは続けます「あなたがたの信仰が全世界に言い広められている」ことを神に感謝しています(1:8)。それに続いて、何とかしてローマを訪れたいという念願を伝えます(1:9-10)。ローマは異邦世界の中心であり、一切がそこへ集まり、そこから出て行く場所です。パウロはそこに自分に委ねられた福音を確立し、そこを拠点として全世界に福音を伝える働きを進めたいのです。パウロは彼らに語ります。「あなたがたにぜひ会いたいのは、"霊"の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです」(1:11)、さらに「あなたがたのところで、あなたがたと私が互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです」(1:12)と。お互いの協力によって、「ほかの異邦人の所と同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望む」(1:13) という願いを実現し、世界の首都ローマに福音の拠点を確立したいのです。
・パウロは「異邦人への使徒」としての使命感を語ります「私は、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります」(1:14)。「未開の人」とはギリシア語を話さない帝国西部の人々を指すのでしょう。文明の種類を問わず、文化や教養の程度を問わず、人間がいる所に福音が伝えられなければならない、世界の全体に福音を満たす責任があると感じているパウロは、その帝国の中心であるローマに福音を確立することを熱望するのです(1:15)。

3.私は福音を恥とはしない

・今日の招詞にハバクク書2:3-4を選びました。次のような言葉です「定められた時のために、もうひとつの幻があるからだ。それは終わりの時に向かって急ぐ。人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる」。パウロは信仰の力を証しするために、「正しい者は信仰によって生きる」(1:17)とハバクク書の言葉を引用しました。ハバククが預言者として立てられたのは紀元前600年頃、ユダヤがバビロニアによって国を滅ぼされた時でした。ハバククは神に抗議します「何故あなたは選びの民とされた私たちの国を滅ぼされたのか」、それに対する回答が招詞の言葉です。神はハバククに言われます「定められた時が来れば全ては明らかになる。その時を信じて待て」。60年後、バビロニアはペルシャに滅ぼされ、捕囚のユダヤ人は帰国を許されます。バビロニアは滅び、ユダは生き残りました。ハバククが語るのは、「希望できない状況にあっても希望せよ、神の力に信頼せよ、それが信仰だ」ということでしょう。
・パウロはローマ教会への手紙の中で、「福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです」(1:17)と語ります。パウロはローマ教会内のユダヤ人信徒に対して、「人を救うのは律法の行いではなく、信仰なのだ」と語ります(3:28)。宗教改革者ルターはパウロのこの言葉から、「人間が救われるのは、教会が定めた様々の行為、業績を積み上げることによってではなく、神を信じ、神がキリストにおいて為された救済行為を信じる、その信仰(あるいは信頼)による」として、カトリック教会の功績主義を否定し、宗教改革を断行しました。ところが、時代を経るに従い、信仰が強調されるようになり、「信じない人は救われない」、「洗礼を受けていない人は救われない」と信仰が新しい律法のようになりました。これは割礼を受けないと救われないと主張していたユダヤ人キリスト者と同じです。新共同訳聖書では「初めから終わりまで信仰を通して」(1:17)と信仰が強調されますが、原文では「信仰から信仰へ」、すなわち「神の信実から人の信実へ」であり、救いは「神の信実」によってもたらされるとパウロは言います。救い(神の信実)が先にあり、その応答として信仰(人の信実)があるのです。つまり「信仰がなければ救われない」とは、教会が創りだした「誤った教理」であり、パウロもイエスも述べていないことなのです。
・1935から1945年のナチス・ドイツ下で600万人のユダヤ人が殺されました。この大虐殺の犠牲者になった人々についてユダヤ教神学者ベルコビッツは書きます「『私は信じる』と唇に唱えて、ガス室の中へと歩いて行った『聖なる者たち』の記憶を前に私は畏怖する・・・私はまた・・・信仰を持たずにガス室へと歩いて行った『聖なる者たち』を前に、畏怖に打たれる。何故ならば彼らは人間が耐えることの出来る以上のことを負わされたのだ。彼らはもはや信じることが出来なくなった。私は彼らの信仰喪失を理解出来る・・・信仰は聖である。しかしまた強制収容所の中では、懐疑や宗教的拒否も同じように聖である・・・ヨーロッパで地獄の中にあったユダヤの人々の、『聖なる信仰』、また『聖なる信仰喪失』を冒涜するものであってはならない」。私たちの信じる神は、信仰をなくしてガス室で死んで行った人々を捨てられる神ではありません。
・聖書学者の上村静氏はで語ります。「イエスの伝える神の支配のメッセージは“人は良いものではないが、そのままで生かされてある”というものであった。イエスの復活顕現を体験した弟子たちは、“キリストの出来事によって人の罪は赦される”と信じた。両者は同じメッセージを伝えている。人は罪を背負った存在であるが、その人間を神は一方的に受容する、これが福音である。イエスも弟子たちもパウロも、それを宣べ伝えようとした。しかし、やがて教会は、福音を告げ知らせるだけでなく、その受容(信仰)を救済の条件にしてしまう。それはもはや“良い知らせ”ではない」(論文集「イエス、人と神へ」)。信仰が救済の条件となった時、信仰もまた律法主義化してしまうのです。
・イエスは放蕩息子の父親の喩えを通して、無条件に赦す神の恵みを語られました。放蕩息子の父親は言います「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」(ルカ15:24)。無条件の赦しを与えるこの父親こそ、イエスが示された「神」なのです。福音=良い知らせとは神の側から為された無条件の赦し(十字架の贖い)の出来事であり、私たちは感謝してそれを受ければ良い。癲癇を患う子の父親はイエスに叫びました「信じます。信仰のない私をお助け下さい」(マルコ9:24)。これこそが正直な信仰の言葉です。自分に絶望してもなお神の名を呼び続ける、イエスが絶叫された「わが神、わが神、どうして」という現実の中で、神を求め続けることこそが人間の信実なのです。


カテゴリー: - admin @ 08時11分24秒

04 16

1.空の墓

・今日、私たちはイースター(復活祭)を祝います。イースターは教会にとって、クリスマスと同じく大事な日です。イエスは金曜日にローマの官憲よって十字架で殺され、ガリラヤから従って来た弟子たちは、「もう駄目だ、何の望みもない」と絶望していました。そのイエスが三日目によみがえり、弟子たちの前に現われます。当初、弟子たちは復活を信じることが出来ませんでしたが、イエスの声を聞き、体に触ることによって、イエスが本当に復活されたことを知り、イエスを「神の子」として礼拝するようになります。こうして、教会が生まれ、教会はイエスが復活された日曜日を「主の日」と呼んで、毎日曜日に礼拝を持つようになります。それが2千年後の今日でも継続され、私たちの行う日曜礼拝は全て、「復活記念礼拝」であり、その中心に位置するのが、「復活日=イースターの出来事」です。
・イエスは金曜日の朝9時に十字架にかけられました。その時、弟子たちは逃げていなくなっており、婦人たちだけが十字架の下にいました。午後3時にイエスが息を引き取られると、有力者であったアリマタヤのヨセフが、ピラトに願い出てイエスの遺体を引き取り、自分の墓に納めます。婦人たちは何も出来ず、ただ遺体が納められた墓を見つめていただけでした。翌土曜日は安息日であり、外出は禁止されていたので、婦人たちは安息日明けの日曜日の朝、香料と香油を持って、墓に向かいます。あわただしく葬られたイエスの遺体を洗い清め、ふさわしく葬りたいと願ったからです。しかし、墓の入り口には大きな石が置かれ、どうすればその石を取り除いて墓に入ることが出来るか、婦人たちはわかりませんでした。それでも婦人たちは墓へ急ぎました。
・墓に着くと、石は既に取り除いてあり、中に天使が座っているのを見て、婦人たちは驚き、怖れます。彼女たちは幻想を見ているのか。しかし、事実として、石は取り除かれ、遺体は墓の中にはありません。婦人たちは天使の声を聞きます「恐れることはない。十字架につけられたイエスは、ここにはおられない。復活なさったのだ・・・急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』」(28:6-7)。婦人たちは恐れてその場を去りました。婦人たちが墓に来たのは、イエスの遺体を清めるためでした。イエスがよみがえられるとは、予想もしていません。だから怖れました。婦人たちは、「復活の出来事を弟子たちに伝えよ」と言われ、急いで帰り、報告しました。しかし、婦人たちの報告を聞いた弟子たちは「たわ言のように思えたので、信じなかった」(ルカ24:11)。婦人たちも弟子たちも思いもかけない出来事に動転していた様子を福音書は伝えます。

2.復活とは何か

・イエスの復活についての四福音書の記述は様々です。ただ、復活を信じることがいかに困難であったかについては、各福音書とも共通して伝えています。マルコはイエスの復活を告げ知らされた婦人たちが「震え上がり、正気を失った」と書き(マルコ16:8)、ルカは婦人たちの報告を聞いた弟子たちが「たわごとのように思われたので信じなかった」(ルカ24:21)と記します。マタイでは、復活のイエスに出会った弟子たちが「疑った」(マタイ28:17)とあり、ヨハネでは、報告を受けたペテロが遺体のなくなっている事を確認するために墓に急ぎますが、イエスの復活を信じなかったとあります(ヨハネ20:10)。復活はその出来事を直接目撃した人でさえ、信じることが難しい出来事だったのです。
・復活はそれが起こったどうかを客観的に証明することは出来ない事柄であり、私たちが信じるかどうかにかかっている信仰の出来事でもあります。荒瀬牧彦という牧師は青山短大で「キリスト教学」の講義を担当していますが、ある時復活について講義をした時の体験を語ります「ある短大のキリスト教学の授業で、復活の講義をした。聖書の復活記事を読み、『主はよみがえられたという叫びからすべては始まった』と話した。評者自身の復活信仰を交え、講義というよりは説教の調子で、情熱を込めて、説得的に語ったつもりだった。授業の後、聖書に関心を持ち、いつも良い応答をしてくれる学生は、苦笑して心底あきれたという口調で言った『本当にこんなこと信じているのですか』。アテネ伝道の挫折で打ちひしがれたパウロのような気分で教室を後にした」(本の広場2017年4月号、説教黙想書評より)。パウロのアテネ伝道の記事は使徒17章にあります。パウロがイエスの十字架と復活を語り始めると、アテネの「ある者はあざ笑い、ある者は、それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」(使徒17:32)と行って離れていきました。「本当にこんなこと信じているのですか」が、復活についての世間一般の考え方でしょう。
・「十字架と復活の言葉」は、どの時代、どの国においても嘲笑と拒否を招きます。それにもかかわらず、教会はこの福音を語り続けます。そこに真理があることを信じる故です。真理には客観的真理と実存的真理があります。客観的真理とは誰にでも理解しうる真理、科学的・実証的真理です。地球は丸い、人間は死ぬ、これらは誰にも異論のない、客観的真理です。それに対して、実存的真理とは、例えば「神が私たちを創造された」、「神が私たちを生かしておられる」、等の主観的な真理です。私たちが信じた時、それは真理となります。そして「真理は人を自由にする」(ヨハネ8:32)。仮に実存的真理を信じなくともとりあえずは困らない。しかし、信じた時、人生の意味が変わってきます。教会は、そのような真理があることを語り続けます。例えば、「隣人を愛せ」という言葉を考えた時、「隣人とはだれか」、「愛とは何か」、人によって受け取り方が異なるでしょう。しかし、本気で「隣人を愛そう」と思い、行動した時、人間関係が変化していきます。これもまた実存的真理です。

3.私たちと復活

・今日の招詞に1コリント15:3−5を選びました。次のような言葉です「最も大切なこととして私があなた方に伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてある通り、私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてある通り、三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」。聖書はイエスの復活を客観的に観察して、それが事実であることを論証しようとはしません。むしろ、そんなことは信じられないという人々が、信じかねるような事件に出会って、変えられて行った事実を伝えます。復活を目撃した人々によって教会の中に伝承が形成されていきます。「キリストが死んだこと、葬られたこと、三日目によみがえったこと、よみがえったキリストが弟子たちに現れた」ことという復活の伝承を、パウロは最も大切な教えとして受け、伝えると語ります。
・復活は信じることが難しい出来事です。しかし、この出来事が世界史を変えていきました。イエスが十字架で死なれた時、弟子たちは逃げて、そこにいませんでした。日曜日の朝、弟子たちは「家の戸に鍵をかけて閉じこもっていました」(ヨハネ20:19)。弟子たちはイエスを処刑した人々が、自分たちも捕えるのではないかと怖れていたのです。その弟子たちが、数週間後には、神殿の広場で「あなたたちが十字架で殺したイエスは復活された。私たちがその証人だ」と宣教を始め(使徒3:15)、逮捕され、拷問を受けてもその主張を変えませんでした。弟子たちの人生を一変させる何かが起こったのです。それが「復活のイエスとの出会いだった」と聖書は語ります。復活信仰は人を新たに生まれさせる力を持っています。
・ロシアの小説家ドストエフスキーは、若い頃に社会主義の影響を受けて、革命運動に参加し、逮捕され、シベリアへ流刑になりました。流刑地で読むことを許されていた書籍は聖書のみであり、彼は4年間の獄中生活の中で、聖書、特に福音書を繰り返し読みます。そしてある時、「時が歩みを止める」体験をします。2000年前に書かれた聖書の出来事が、「今ここにある」出来事として甦り、時空を超えてイエスに出会う体験をしたのです。そして聖書を通して、世の出来事の意味がはっきりと見え始め、それを作品として発表し、その作品は多くの人々に人生を変えるほどの衝撃を与えるようになります。「罪と罰」、「白痴」、「悪霊」、「カラマーゾフの兄弟」等の名作が生まれた背景にあるのは彼の復活体験だと言われています。流刑地での聖書との出会いが無ければ、彼の作品は生まれず、彼の作品を通して信仰に導かれる人もいなかったでしょう。神は、シベリア流刑という不幸な出来事を通して、ドストエフスキーを祝福されたと私たちは思います。
・私たちは復活のメッセージの持つ豊かさを思い起こします。キリストの復活を信じる時、人生の意味は変わってきます。キリストは十字架上で権力者によって殺されました。しかし、神はそのイエスを「死人の中から起こされた」、神は悪をそのままには放置されないことを、私たちは復活を通して知ります。世はまるで神などいないような現実を示しています。しかし、どのような悪があろうとも、その悪はいつかは終わることを信じますから、私たちは悪に屈服しません。どのような困難があっても、神が共にいて下さるゆえに、私たちは絶望しません。神が必ず道を開いて下さることを信じるからです。私たちが復活を信じるということは、この世界が究極的には、「神の支配される良き世界」であることを信じることです。その信仰が希望をもたらし、希望は私たちに行動をもたらします。復活信仰は人間に生きる力を与え、人を「幸せな人生」ではなく、「意味のある人生」に導くのです。


カテゴリー: - admin @ 08時10分26秒

04 09

1.神の見捨ての中のイエスの死

・マタイ福音書を読んでおります。イエスは木曜日の夜に捕らえられ、死刑宣告を受け、金曜日の朝9時に十字架にかけられました(マルコ15:25)。十字架刑はローマに反逆した者に課せられる特別な刑です。受刑者はむち打たれ、十字架の横木を担いで刑場まで歩かされ、両手とくるぶしに鉄の釘が打ち込まれて、木に吊るされます。手と足は固定されていますので、全身の重みが内臓にかかり、呼吸が苦しくなり、次第に衰弱して死に至ります。
・マタイは記します「昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた」(27:45)。聖書においては、闇や暗黒は神の裁きを象徴します。実際に天変地異が生じたというよりも、マタイがイエスの十字架死を終末の、神の裁きの出来事と理解したゆえの表現でしょう。3時になった時、イエスは大声で叫ばれました「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(27:46)。イエスの十字架刑には、ガリラヤから来た女性たちが立ち会っていました。彼女たちはイエスの断末魔の叫びをゴルゴダで聞き、それを聞いたままに弟子たちに報告し、やがてそれが伝承となり、福音書に取り入れられたものと思われます。アラム語で叫ばれたイエスの肉声を伝える言葉です。意味は「わが神、わが神、何故私をお見捨てになったのですか」です。
・イエスの最後の言葉「わが神、わが神、何故私をお見捨てになったのか」は、初代教会の人々に大きな衝撃を与えました。「神の子が何故絶望の叫びを挙げて死んでいかれたのか」、弟子たちはイエスの言葉を受け入れることができませんでした。この言葉は教会の敵対者にも絶好の攻撃材料を与えました「悲鳴をあげて敗北の死を遂げた者がメシア(救い主)であるはずはない」と、彼らは攻撃しました。それにもかかわらず、福音書記者はイエスの叫びを削除しませんでした。事実の忠実な報道であったからです。
・しかし、「神の子が何故絶望の叫びを挙げて死んでいかれたのか」という疑問を解決する必要がありました。そのような思いがイエスは最後に「詩篇22篇の冒頭の言葉を語られたのだ」という理解に導きます。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」は詩篇22編2−3節の言葉です。「私の神よ、私の神よ、なぜ私をお見捨てになるのか。なぜ私を遠く離れ、救おうとせず、呻きも言葉も聞いてくださらないのか。私の神よ、昼は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙ることをお許しにならない」(詩編22:2-3)。詩篇22編は神から捨てられた信仰者の嘆きの言葉から始まり、やがてそれは救済を求める言葉に変わって行きます「主よ、あなただけは私を遠く離れないでください。私の力の神よ、今すぐに私を助けてください。私の魂を剣から救い出し、私の身を犬どもから救い出してください」(詩篇22:20-21)。そして最後に詩人は神への信頼を歌います「主は貧しい人の苦しみを決して侮らず、さげすまれません。御顔を隠すことなく助けを求める叫びを聞いてくださいます」(詩編22:25)。初代教会の人々は詩編22編を通して、「絶望しながらも神の名を呼び続け、神を信頼し続けたイエス」を見出しました。
・では現実のイエスは十字架上でどのような気持ちで死んで行かれたのでしょうか。この点に関し、聖書学者の廣石望氏は語ります「イエス自身は、自らの死をどのように理解したのでしょうか。詳細は不明です。はっきりしているのは、『イエスは人々の罪の贖いとして自らの命を捧げるという自覚をもって十字架についた』という理解は、復活信仰をふまえた原始キリスト教における再解釈だということです。この理解はそのままイエス自身の理解には遡りません・・・ではイエスはその死にどのような意味を見出したのか、この点について意見はさまざまです。私に最も本当らしく思われるのは、イエスは十字架刑で処刑されることに積極的な意味を見出せなかった、つまり絶望と共に死んでいったというものです」(2008.3.16代々木上原教会説教)。
・「イエスは絶望と共に死んで行かれた」、先の大震災では無念の内に2万人の人が亡くなりました。原爆で殺されていった人たちも、「わが神、わが神、どうして」と問いながら死んでいかれました。人生には多くの不条理があります。もしイエスが平穏の内に、神を賛美されながら、死んでいかれたとしたら、そのイエスは私たちと何の関わりもない人です。ある牧師は語ります「イエスもわれわれと同じように生きて、同じように死の苦しみと不安を覚えられた。この事実がイエスとわれわれの距離感を縮める。神の前では全てが受け入れられる。嘆き悲しむ時は嘆き悲しんでも良い。イエスですら死に臨み、悲鳴し、絶望したのだから、死に直面した時のわれわれの弱さとて義とされる。これは何よりも慰めになり、癒しになるのではないか」。

2.イエスの死の後で

・イエスの叫びを聞いて、周りにいた人々は言いました「この人はエリヤを呼んでいる」(27:47)。預言者エリヤは生きたまま天に移され、地上の信仰者に艱難が望むとこれを救うと信じられていました。そのため、人々はイエスの「エリ、エリ」という叫びを、エリヤの助けを求める叫びと考え、「エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いました(27:49)。しかし、エリヤは来ませんでした。イエスは最期に大声で叫ばれて息を引き取られます。何の奇跡も起来ませんでした。
・マタイは、イエスが息を引き取った時、三つの出来事が起こったことを記しています。「その時、神殿の垂れ幕が上から下まで真二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そしてイエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた」(27:51−53)。「神殿の垂れ幕が二つに裂けた」ことはイエスの犠牲の死で神殿犠牲が無意味になったことを象徴しています。二番目の「地震」は神の裁きを意味するのでしょう。三番目の「聖徒の復活」は終末の到来を象徴しています。いずれも実際に起きた出来事というよりも、マタイ独特のイエスの死に対する象徴的解釈と理解すべきでしょう。
・マタイ福音書の読者は紀元70年にエルサレム神殿がローマ軍によって破壊され、今は廃墟となっている歴史を知っております。そしてユダヤ教徒がイエスを殺した罪のために、神はエルサレム神殿を破壊されたと理解しています。その思いがここに反映しているのでしょう。54節にイエスの処刑を指揮していたローマ軍百卒長が「本当にこの人は神の子だった」と告白する記事をマタイは挿入します。「絶望の中でなお神の名を呼んで死んでいかれた」イエスに、彼は「神の臨在」を見たのです。
・イエスの十字架刑の時、ただ婦人たちのみが立ち会ったとマルコは記します(27:55)。弟子たちは逃げ去っていました。イエスの仲間として捕えられるのが怖く、また十字架上で無力に死ぬ人間が救い主であると信じることが出来なかったのです。弟子たちはイエスを捨てました。しかし、婦人たちはそこに残り、細い糸はなおつながり、やがてこの婦人たちがイエスの埋葬を見守り、復活のイエスの目撃者になり、その出来事を通して弟子たちに信仰の回復が起こります。

3.イエスの十字架の中に神の臨在を見る

・今日の招詞に第二コリント7:10を選びました。次のような言葉です「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします」。イエスは大声で、ほとんど非難するように、神に叫ばれました。神は見えません。闇が全てを飲み込んでいます。それにもかかわらず、イエスは「わが神、わが神、どうして」と叫ばれました。苦難がなぜ与えられるのか理解できない、神がなぜ沈黙されておられるのか分からない。しかし神はそこにおられ、この叫びを聞いておられる。その確信がイエスに「わが神、わが神」と叫ばせたのです。この叫びは信じる故の叫びであり、極限の中の信仰の叫びなのです。
・ヨセル・ラコーバーという人がいます。1943年にワルシャワのゲットーで殺されていったユダヤ人です。ワルシャワのユダヤ人たちはドイツ軍の攻撃の中で、次々に殺され、彼の妻と子どもたちも死に、一人ヨセルだけが生き残りました。彼は戦火の中で手記を書き、それを瓶の中に入れ、煉瓦の裏に隠しました。やがてヨセルも死んで行きました。戦後、その手記が発見され、出版されました。その中で彼は書きます「神は彼の顔を世界から隠した。彼は私たちを見捨てた。神はもう私たちが信じることができないようなあらゆることを為された。しかし私は神を信じる」(Yosl Rakover Talks to God by Zvi Kolitz)。
・神はイエスを十字架で見捨てられました。しかし、墓に葬られたイエスを神は起されます。ペテロは証言します「神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました」(使徒2:24)。絶望の中で「わが神、わが神、どうして」と叫んで死んで行かれたイエスを、神は復活させてくださった。そこに私たちの希望の源泉があります。その時、私たちは叫びます「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせる」と。
・イエスの十字架上での絶叫こそ、神の御心に適った悲しみであり、私たちが本当に聞くべき言葉なのです。私たちが苦難の中でうめく時、そのうめきが祈りとなります。この信仰がイエスの信仰であり、私たちの信仰でもあります。神を信じる者だけが、神の不在に耐えることができます。世は神なき世界の有様を示しています。この中で私たちは「神の前に、神と共に、神なしに生きる」(ボンヘッファー)。イエスは十字架上で絶望しながら、なお「わが神、わが神」と神を呼び続けられた。そこにイエスの信仰があり、神はこの信仰に応えられた。多くの人がそれ故に、十字架のイエスに希望を見出してきました。「わが神、わが神、どうして」、この絶望の中の叫びこそ祝福への道なのです。


カテゴリー: - admin @ 08時09分20秒

04 02

1.ゲッセマネにて

・聖書教育に従ってマタイ福音書を読んでいます。今私たちは受難節にあり、イエスの受難物語の焦点の一つが今日の箇所マタイ26章「ゲッセマネ」での出来事です。最後の晩餐を終えた後、イエスと弟子たちはゲッセマネに向かいます。ゲッセマネとはアラム語で「オリーブの油搾り」の意味で、オリーブ山のふもとに油を絞る設備があったところからその名がつけられたようです。イエスたちは以前にもよくこの場所に来ておられました。そのゲッセマネでイエスは祈り、苦しみ、悶えられました。キリスト教に批判的な人々はこのイエスを見て、嘲笑します。「ソクラテスは不当な判決を受け入れ、毒薬を堂々と飲んで死んでいった。それなのにイエスは死を前におののいている」。初代教会の人々も、死を前に「嘆き悲しむイエス」をありのままに記述するこのテキストに、戸惑いを覚えたと言われています。死を前に嘆き悲しむイエスを私たちはどう受け入れるか、それが今日の主題です。
・物語は31節から始まります。最後の晩餐を終えた弟子たちは、祈るためにゲッセマネに向かいますが、その途上で、イエスは弟子たちに「あなたがたは私を見捨てて逃げ去るだろう」と予告されます。「今夜、あなたがたは皆私につまずく。『私は羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう』と書いてあるからだ」(26:31)。イスカリオテのユダは晩餐の途中で出て行き、やがて祭司長の手下たちを連れてイエスを捕らえに来るでしょう。その時、あなたたちは逃げ去るだろうとイエスは言われました。それに対してペテロは反論します「たとえ、みんながあなたにつまずいても、私は決してつまずきません・・・たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(26:33-35)。「ほかの弟子たちも皆、同じように言った」とマタイは記します。
・園に着くとイエスは三人の弟子を連れて、奥深くに進んで行かれます。マタイはその時の情況を「イエスは弟子たちと一緒にゲッセマネという所に来て、『私が向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい』と言われた。ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、その時、悲しみもだえ始められた」。(26:36-37)。受難を前に、「イエスは悲しみもだえ始められた」とマタイは記します。私たちが驚くのは、イエスが自分の弱さを弟子たちにお隠しにならなかったことです。私たちが苦しみの中にある時、普通はその苦しみを人から隠し、自分の力で何とかしようと思います。人は他者に対して弱さを見せることを嫌がり、自分を閉じますが、イエスは自分のもだえ苦しむさまをありのままに弟子たちに示され、共に祈ってほしいと言われます「私は死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、私と共に目を覚ましていなさい」(26:38)。福音書の示すイエスはスーパースターではなく、私たちの助けを必要とされる方なのです。
・「私は死ぬばかりに悲しい」、イエスはうつぶせになって祈られます。「うつぶせになる」、万策尽きた者の懇願する姿勢です。イエスは叫ばれます「父よ、できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください」(26:39)。「死の杯を取り去って下さい、今死ぬことに意味があるとは思えません」とイエスは祈られました。しかし、父なる神からは何の応答もありません。イエスは続けて祈られます「しかし、私の願いどおりではなく、御心のままに」。私たちは理解できない不条理を受け入れることはできません。なぜ今この苦しみが、与えられるのか、かつて私たちもイエスの声に合わせて、父なる神に祈ったことがあります「わが神、わが神、どうして」(27:46)。しかし、何の応答もなく、沈黙が深まります。
・イエスは弟子たちの所に戻られます。イエスと祈りを共にするはずだった弟子たちは、睡魔に負けて眠り込んでいます。1時間前、ペテロはイエスの面前で語りました「たとえ、みんながあなたにつまずいても、私は決してつまずきません。あなたのために死ぬ覚悟はできています」と。そのペテロが今は眠り込んでいます。イエスは人間の弱さ、限界を知っておられるゆえに、ペテロを叱責されません。「あなたがたはこのように、わずか一時も私と共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」(26:40-41)。
・弟子たちはイエスと祈りを共にすることが出来ませんでした。神からの応答もありません。イエスは神に捨てられ、弟子たちにも捨てられて、まったくの孤独の中に残されています。イエスは再び園の奥の方に進み、祈られます「父よ、この杯を過ぎ去らせて下さい」。依然として神からの応答はありません。イエスはその沈黙の中に神の意思を知られました。だから祈られます「父よ、私が飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように」(26:42)。イエスは苦闘の末、死という不条理を受け入れられた、この苦難のただ中に神が共におられることを信じられたのです。
・弟子たちはまだ眠り込んでいます。イエスは弟子たちを起こさないように、祈りを続けられます。三度目の祈りを終えて帰ってきても、弟子たちは眠り込んだままです。イエスは弟子たちを起こして言われます「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、私を裏切る者が来た」(26:45-46)。下の方から、ユダに率いられた捕り手が来るのが見えたのでしょう。もうイエスには迷いはありません。三度の祈りを通してイエスは神の御心を知られた、誰かが苦しむことが必要であれば私が苦しんで行く。その決意が「立て、行こう」という言葉の中に現れています。

2.私たちを赦される主

・この物語を通して私たちは人間の弱さを見ます。最初の弱さはイエスの弱さです。イエスは「死を前におののかれた」、多くのキリスト教批判者はイエスの死を前にした弱さを責めます。しかし私たちはイエスの弱さを恥じるのではなく、慰めを覚えます。イエスは神のロボットではなかったのです。私たちもまた、苦しみの杯を飲まなければいけない時があります。重い病に冒された、生涯をかけた事業が破綻に追い込まれた、愛する人が亡くなった、人生の波風の中で、私たちは「もだえ苦しみます」。その時、私たちはイエスさえおののかれたことを知り、慰められます。イエスは、私たちのために弱さを隠されなかった。だからこそ、この人は私たちの友となられるのです。
・ペテロはイエスが「今夜、あなたがたは皆私につまずく」(26:31)と言われた時に「たとえ、みんながつまずいても、私は決してつまずきません」と答えました。そのペテロはイエスが血の汗を流して祈っておられた時、眠りこけ、捕り手たちが来た時は逃げ出しました。イエスが大祭司の屋敷に連行された時、ペテロは後を追いますが、屋敷の人々に「おまえもイエスの仲間だ」と問い詰められると、「そんな人は知らない」と三度否認します(26:74)。ペテロがイエスを裏切った場面をマタイは次のように記します「ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、『そんな人は知らない』と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。ペトロは、『鶏が鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言うだろう』と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた」(26:74-75)。ペテロは自分の弱さに泣いたのです。
・ヨハネ福音書によれば、イエスが十字架で死なれた後、弟子たちは故郷ガリラヤに帰って、元の漁師に戻り、そこに復活のイエスが現れます。イエスはペテロが裏切ったことを一言も責められず、ただペテロに「私を愛するか」と三度聞かれます。三度目の時にペテロは悲しんで言います「主よ、あなたは全てをご存知です。あなたは私の弱さを知っておられます。私はかつてあなたを裏切ったし、これからも裏切るかも知れません。しかし、私がどんなにあなたを愛しているかをあなたはご存知です」。そのペテロにイエスは「私の羊を飼いなさい」と命じられます(ヨハネ20:17)。かつてイエスを裏切った自分に群れが委ねられた事を知った時、ペテロは生れ変りました。ペテロは弱い人間でした。しかし、弱さを知り、祈り求め、主によって強くされた。私たちもこのペテロにならうことができると希望を持ちます。

3.私たちにとってのゲッセマネ

・今日の招詞にヘブル5:2を選びました。次のような言葉です。「大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです」。私たちは、何か危機があれば、主を裏切り、見捨てて逃げかねない存在です。私たちがユダであり、ペテロなのです。イエスへの裏切りはその後の時代においても繰り返し起こっています。初代教会はやがてローマ帝国の各地に広がって行きますが、時々のローマ皇帝の宗教政策により、ある時は迫害され、ある時は容認されました。キリスト教に寛容な皇帝の下では信徒は増え、否定的な皇帝の下では信徒は散らされていきました。迫害があると多くの信徒が棄教し、迫害が止むと教会に戻ってくるという出来事が歴史上繰り返し起こっています。
・「目を覚ましている」ことができない私たちがそこにいます。「心は燃えても肉体は弱い」のです。その私たちのために「キリストは弱くなられた」。イエスは苦しみの中でも自分を閉じられず、弟子たちに弱さを見せて下さった。「大祭司イエスは、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができる」、まさにそこに救いがあるのです。
・人は苦難を通して神に出会います。イエスは人として本当に苦しまれた故に、「神は復活という応答を与えて下さった」と私たちは信じます。へブル書は記します「キリストは、肉において生きておられた時、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました」(ヘブル5:7)。だから私たちも教会の中で、お互いの弱さを隠さず、「祈ってほしい」と言うことができます。教会はお互いの弱さを受け入れ、赦すことのできる唯一の場所なのです。教会にあって、私たちは神の赦しを受け、神との平和をいただきます。神は弱い私たちを招き、神の業に参加することを許されています。


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03 26

1. 最後の晩餐で起こったこと

・イエスは過越祭を前にした日曜日にエルサレムに入られ、昼は神殿の境内で教え、夜は郊外のベタニア村のマルタとマリアの家にお帰りになっていました。木曜日、イエスは弟子たちとエルサレム市内に出かけられ、過越の食事を共に取られます。最後の晩餐として有名になった食事です。祭司長たちはイエスを捕らえ、殺すための相談を始め(26:4)、その場にイスカリオテのユダが行って謀議に加わっています(26:14-15)。いよいよイエスの最後の時が近づいている、そのような中で持たれたのが、「最後の晩餐」です。
・マタイは最後の晩餐の物語を書き始めます「除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、『どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか』と言った」(26:17)。過越祭の最初の日に、ユダヤ人たちは神がイスラエルをエジプトから解放して下さった記念として、「種無しのパンを食べ、子羊を屠って食べる」慣わしでした。弟子たちはイエスが言われたに過越の食事を準備し、夕刻にイエスは12人の弟子たちと共に食事の席につかれます。
・その最期の晩餐の席上でイエスは衝撃的な発言をされます「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人が私を裏切ろうとしている」(26:21)。弟子たちは心を痛めて「まさか、私のことでは」(26:22)と代わる代わる言い始めたとマタイは記します。イエスをユダヤ教指導者に売り渡したのは、イスカリオテのユダですが、他の弟子たちもこの後、イエスを裏切ります。晩餐を終えた後、一行は祈る為にオリーブ山に行きますが、そこに兵士たちが来てイエスを捕縛した時、弟子たちは皆「イエスを見捨てて逃げてしまった」(26:56)。弟子たちは、「あなたがたのうちの一人が私を裏切ろうとしている」とイエスから問われて、自分たちの中にある弱さに気づき、「まさか私では」と問い掛けたのです。
・歴史的に言えば、イエスを十字架にかけたのはユダヤ教指導者たちであり、ローマの軍隊です。ユダヤの祭司長たちは彼らの宗教的権威に従わず、民衆に新しい教えを説くイエスを異端者として排除しようとしました。ローマ人たちは占領地ユダヤの民衆を惑わし、治安を乱す者としてイエスを排除しようとしました。イスカリオテのユダはその動きに積極的に関与しました。他の弟子たちはイエスを見捨てて逃げることで消極的に関与しました。イエスを十字架につけたのはユダであると同時に、ペテロやヨハネであり、彼らもユダと同罪なのです。最後の晩餐の記事はそれを私たちに告げます。
・マタイは「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」とのイエスの言葉を残していますが(26:24)、これはおそらくユダを裏切り者と憎む初代教会の感情の反映であり、イエスの真正な言葉とは思えません。何故ならば、イエスは十字架上で自分を殺そうとする者たちのために祈られた方だからです。「その時イエスは言われた『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです』」(ルカ23:34)。この祈りは直接的には自分を槍で殺そうとするローマ兵へのとりなしですが、そこには、自分を捨てて逃げたペテロたち、弟子たちへのとりなし、また積極的に裏切ったイスカリオテのユダへの赦しも含まれています。もしユダが自殺することをせず、生き残っていれば、ペテロに現れた復活のイエスはユダの許にも現れたでしょう。「自分を裏切る者たちのために祈る」、そこにイエスのイエスたる核心があります。

2.主の晩餐を通して新しい希望へ

・イエスと弟子たちは、最後の晩餐を「過越しの食事」として祝いました。それはエジプトからの救済を祝って犠牲の子羊を屠って食する時です。最後の晩餐において、イエスはパンを取り、感謝してそれを裂き、弟子たちに与えられました。また杯も同じように弟子たちに与えられました。この最後の晩餐でのイエスの言葉「取りなさい、これは私の体である。飲みなさい、これは私の血である」を後の教会は深く覚えて、礼拝の中で唱和するようになり、それが今日の教会においても祝われる主の晩餐式となりました。
・マタイは記します「一同が食事をしている時、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。『取って食べなさい。これは私の体である』」(26:26)。イスカリオテのユダは食事半ばに既に席を立っています(ヨハネ13:30)。イエスは会食の席上でユダが悔い改めるように努力されましたが、ユダはイエスの言葉を聞かず、席を去ります。その悲しみの中でイエスは弟子たちのためにパンを裂きます。
・パンが配られた後、イエスは「杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。『皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流される私の血、契約の血である』」(26:27-28)。ユダヤでは「血」は契約の徴です。古代の契約は動物を二つに裂いて、当事者がその間を通ることによって成立しました。「契約を結ぶ」、ヘブル語=カーラトは、「切る、切り裂く」という意味を持ちます。アブラハムは主と契約を結ぶ時、雌牛と雌山羊を二つに切り裂きました(創世記15:17)。切り裂かれた動物の間を通ることによって、もし契約を破るなら二つに切り裂かれてもかまわないという同意を表わすためでした。血は契約の徴です。
・この箇所にはイエスの万感の思いが込められています。聖書学者の加山宏路先生はこの箇所を次のように言い換えられます「私は私自身をあなた方に与える。今、私がここで裂いてあなた方に渡すパンのように、ほどなく十字架で引き裂かれようとする私の体を、いや私自身をあなた方に与える。これを私と思って受け取りなさい。私は十字架につけられて血を流そうとしている。イスラエルの先祖たちが裂かれた動物の間で血の契約を立てたように、私の流す血、それが私の契約の徴だ。あなた方に与えるこのぶどう酒のように、私は私の命をあなた方に与える」(説教者のための聖書講解「マルコ」p358)。「私自身をあなた方に与える」、イエスの言葉を弟子たちは忘れることが出来ませんでした。ですからイエス復活後の教会においては、最後の晩餐を記念する「主の晩餐式」が礼拝の中心になっていきました。イエスは志半ばで死んでいかなければいけない無念さと、それでも父なる神は弟子たちを守ってくださるという信仰の中に、「私は私自身をあなた方に与える」と言われました。この言葉はイエスが私たちに残された遺言なのです。

3.主の晩餐を通じて想起すべきこと

・最後の晩餐におけるイエスの言葉は、私たちへの遺言ですが、それは同時に私たちに希望を与える言葉でもあります。イエスは最後に言われます「言っておくが、私の父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい」(26:29)。この言葉は、この食事が弟子たちと取る地上での最後の食事であるけれども、同時に死が終わりではなく、死を越えて神の国が来る、その時に「再び共に食卓につこう」という約束の言葉でもあります。ここにあるのは、来るべき神の国への招きの言葉でもあります。私たちは主の晩餐式において、共にパンを食べ、共に一つの盃からぶどう酒をいただくことによって、来るべき神の国の祝宴に預かっているのです。
・今日の招詞にマルコ4:30−32を選びました。次のような言葉です「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔く時には、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」。イエスはかつて弟子たちにからし種のたとえを語られました。からし種は大きさ1ミリに満たない、種の中で最も小さいもので、文字通り「ケシ粒」です。その小さい種でさえ、蒔いて成長すると3メートルほどの大きさになります。
・イエスは「神の国は来た」と繰り返し語られましたが、誰もそれを認めようとしません。種が小さすぎて目に入らないからです。最後の晩餐の今、イエスの目の前には、かつては漁師や徴税人だった少数の弟子たちしかいません。弟子の一人イスカリオテのユダはイエスを見限って晩餐の席から退場しています。他の弟子たちもやがてはイエスを裏切って離散してしまいます。他方、エルサレムの宗教当局者はイエスを追跡し、捕らえ、殺そうとしています。イエスの伝道の業はからし種のように小さい存在でした。それはイエスが生きておられた時には実を結びませんでした。しかしイエスは、それが神の種であればいつかは発芽し、成長し、多くの収穫を結ぶと信じておられました。その確信をイエスはたとえで話されたのです。イエスが十字架で死なれた時、誰もそれがやがては世の中を変えるような出来事だとは思わなかったでしょう。しかし、イエスの十字架から、多くの芽が発芽し、それはやがてローマ帝国を覆い、全世界を覆うほどの大木になって行きました。
・イエスが語られた「からし種のたとえ」は、人々の拒絶を前にしても怯むことなく、神への信頼に基づく希望の中に生きられたイエスの姿を伝えています。私たちはそのイエスから使命を受け、弟子となり、神の国、神の支配の中に生かされています。世はまるで神などいないような現実を示しています。その中で小さな教会を形成し、そこに何人かの人が集まっていたとしても、そこに神の国が来ているとは誰も信じないでしょう。しかし私たちは神の種をいただいています。いただいているものが神の種である以上、必ず発芽し、成長し、多くの実を結びます。この世がたとえ「神なき世界」のように見えても、世界を支配しておられるのは神であることを信じ、その希望の中で私たちは教会を形成していきます。そのような私たちをイエスは励まされます「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」(ルカ13:32)。


カテゴリー: - admin @ 08時08分42秒

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